July 2011
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総合教育セミナー「アヴァンギャルド芸術の変遷」
期末レポート課題
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小さな頃から親に連れられ美術鑑賞をして居た自分は、年を重ねるごとに好きな作家や作品が増えていった。好きな作品の共通点は言葉で説明できる根拠は何もなく、ただ自分が「かっこいい!」「綺麗だなー」という非常に主観的なものであった。しかし高校、大学と様々な分野やフィールドのアカデミックな知識を少しずつ吸収する事によって自分の価値観が正統的に根拠づけられ、その作品の作成された社会的背景や歴史的な流れを理解し始めた。この一連の流れの発端には、自分の中で同じ分類のアーティストとして区別されていたアーティストが全く違うバックグラウンドや時代のアーティストだとわかったという「事件」が起こった事にある。今回はその「事件」に関与した2人のアーティストを挙げ、アート鑑賞には何が必要なのか、なぜ現代美術は一般の人から敬遠されてしまうのかについて考えていきたい。
まずその「事件」に関与した2人のアーティストを紹介しよう。一人は抽象絵画のモンドリアン、そしてもう一人はハード・エッジのエルズワース・ケリーである。
モンドリアンは垂直線と水平線、赤、青、黄色の三色のみで描かれた抽象絵画が有名な幾何学的抽象を描くアーティストである。オランダ生まれの彼は小さい頃から熱心なキリスト教徒であった父親や祖国の平地から形作られる水平線と垂直線のみの景観から影響を受けた。さらにキュビズムの事物を幾何学的に分解しキャンバス上で再構築するという手法に感銘を受け、彼の作風は確立していくのであるが、そんな事は対して当時の僕には関係がなく、初めて彼の作品を見た時とにかくシャープでシンプルなその構図にものすごく格好良さを感じたのを今でも覚えている。当時抽象絵画という単語も知らないような状態ではあったがとても強い印象と共に目に焼き付いてる。
エルスワース・ケリーは抽象表現主義のカラー・フィールド・ペインティングの延長線上にあるとされているハード・エッジと呼ばれるアーティスト達の中の一人である。その後のミニマルアートなどにも影響を与える。僕が彼の作品を始めて見たのは母親の勤めていた東京都現代美術館にいつものように遊びに行き、母親の仕事が終わるまで展示をふらふらほっつき歩いていたときの事である。こちらの作品も当時の僕からすればどんな現代美術の系譜の中で作られたものなのかなど到底関係のない事であったが、展示室にたたずむその大きな作品の存在感は当時の僕に衝撃を与えた事をはっきりと覚えている。
僕も成長するにつれて自分の中での好きなアーティストを適当な名前を付けて分類するようになっていくのだが、上記の二人のアーティストは「四角い系」として認識していた。この「四角い系」アーティストの中にはドナルド・ジャッドなどが含まれており、今考えると三人とも全く違う流れの中でのアーティストである事が非常に不思議に思える訳だが、当時の僕からすれば何となく似ているアーティストとして羅列されていた。
実際に今になってみて見ると、モンドリアンとエルズワース・ケリーの作品には表面上で非常に大きな共通点が見られる。モンドリアンはテオ・ファン・ドゥースブルフと共にオランダにおける新造形主義「デ・ステイル」運動を始めた事はよく知られているが、その定義「垂直線と水平線によって図柄をデッサンし、線によって矩形を赤、青、黄の三色を基本とし、白、黒および灰色を補助的に使用して着色する」という一文を踏まえながらエルスワース・ケリーの「Red, Yellow, Blue」を見てみよう。へりくつのように聞こえるかもしれないがこの絵、ザ・ステイルの定義を満たしては居ないだろうか。高校時代、この事に気がついた僕はこれを非常に面白く思い、現代アートに関しての知識をアカデミックな方向に深めようと思ったのである。
ではモンドリアンは現代アートの流れで見ればどのような位置にあるのであろうか。少し詳しく見てみよう。
モンドリアンの直接的な表現の源となっているのはキュビズムである。
1911年、モンドリアンはアムステルダムでキュビズムと出会う。モチーフを幾何学的な形で表現するキュビズムに強いインスピレーションを得たモンドリアンは、それをきっかけにパリに出、キュビズムの手法でモチーフを分析して描くようになる。モンドリアンの絵は、対象の単純化を進め、ついには垂直線と水平線のみによって造形する事などによって、どんどん抽象化していき、14年頃になるとほぼ完全な抽象画に到達している。同じ抽象画でも、たどった道のりはカンディンスキーとはかなり違い、出来上がった絵も相当に異なっている。
第一次世界大戦が始まる頃、モンドリアンは祖国オランダへ戻る。オランダでもモンドリアンは抽象画を書き続けたが、当時理解してくれる人はほとんど居なかったようだ。そうしたなかにあって、テオ・ファン・ドゥースブルフという画家であり建築家でもあり、さらには評論家でもあった人物だけはモンドリアンの絵画を理解し賛辞を送ってくれたようだ。それがきっかけとなって、二人は一緒に表現の探求をする事になる。
1917年には「デ・ステイル」という雑誌を発行し、自分たちが追求する表現を盛んに論じ、彼らは「新造形主義」という言葉を使い始めた。その定義は先ほど述べた通りである。モンドリアンにとってこの定義は、神の法則を導きだすために必要であった事であり、その表現には個人的な感情や主観、思い入れの入り込む余地は全くなかったようだ。そのため描かれた絵は幾何学的で理性的な印象になるのだが、一方でその根拠が神智学という宗教的思想に支えられていたのだから、意外と理解しにくいものなのかもしれない。
このようにモンドリアンはキュビズムから合理性を受け継いで、フォーヴィズムや表現主義などの人間の内面を重視するアートとは全く別の派生をしていった訳である。そして、その後のアートに大きな影響を与え、いまにいたるまで息づいているのである。
ではそれに似ていると僕が考えたハード・エッジとはどういう流れの中で出来上がってきた作品達なのであろうか。
ハード・エッジは近年カラー・フィールド・ペインティングの作家達の延長線上に位置づけられるが、そもそもは抽象表現主義の空間的なイリュージョンを排し幾何学抽象絵画を批判しながらそれに依存する近代絵画のあり方に疑問を持った人々の作品である。つまり彼らは何か事物を描くという絵画の概念を覆すために、作品をさらに単純明確化し、ある意味無表情な世界観をを表現しているのである。絵画は何かを表している、何かが描かれているという近代絵画の概念を覆そうとしたのである。結果的にその流れはミニマルアートなどに引き継がれる事になる。
どうだろうか。この二つの作品、根本的に全く違う概念をもとに描かれている事がわかるだろうか。抽象絵画は事物や作者の思想を抽象化しキャンパスに描いたものであった。つまり形がどんなに原形をとどめていない、全く意味の分からない幾何学的な模様になっていても、その作品は何かを表しているのだ。それに対してハード・エッジの作品は絵画は何かを表したり、何かを描いているという概念自体に疑問を持ち、絵画の解釈を当時の絵画という概念の外側に求めたのである。
僕はこの現代アートの系譜を調べたときに、現代アートを見る楽しさを本質的に初めて理解したような気がした。形や色が同じような作品でも、作者の意図や社会的背景などによってその作品は全く違う意味を持っているのだ。
この面白さは昔の絵画では得る事ができないのはお分かりだろうか。昔の絵において、画家の主義主張がなく、アートの潮流が存在しなかった訳ではないが、基本的には事物をいかに正確にそして美しく描くかが競われていた時代の絵画では、いかにキャンバス上で作家の技術を発揮するかといういわば描写技術が競われていた訳であり、現代よりコンセプチュアルな部分が少ないことは確かである。しかし彼らの作品はどうだろうか。表面上は同じような性格を持ち合わせているにも関わらず、根本的には全く違うのだ。
こうやって文章を書いていると、ますます現代アートというものが取っ付きにくいものになっているように思うが実際はそうではない事を覚えておいて頂きたい。興味を持ったアーティストを調べ、その意図を汲み取る事で、現代アートはそれ以前のアートより数倍面白いものだと僕は信じている。だがその大前提には、最初にその作品に触れたときに「かっこいい」とか「美しい」と思う主観的な印象や感動がある事を忘れてはいけない。
現在、アートは何でもありの状況でありかつてのようにアートの世界をリードする都市もなければ高尚と低俗の差もなくなったし、ましてや作品がモノであるとも限らず、アートと他の分野の垣根も限りなく低くなってきたのではないだろうか。そんな状況にあって現代アートの中でどれが優れていて、どれが劣っているかという万人に共通する価値判断など存在しなくなってしまっている。アートと向き合い、親しんでいこうとしている私たちは、一人一人が自分で自分の善し悪しを理解しなければいけなくなっている。選択や評価は全て自己責任の時代なのだ。しかしこれは裏を返せばアートに対して自由な接し方が許されているということではないだろうか。現代アートや現代美術館は一般の人々から敬遠されがちな存在となっているが、そんなアートの多様性を持った時代だからこそ人々は現代アートに触れていくべきだと僕は思う。
情報化社会は上記の垣根や差別が無くなってきた理由でもあるが、情報化社会が人々の価値観を孤立させるという議論は様々な分野でなされている。若い人たちはもっと外の世界を、もっと違う分野のものを自らの主観的な価値観に基づき探求すべきだという個人的な意見をこのレポートの最後に記しておきたい。
<2011年度春学期「現代思想論」期末レポート課題>
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今回のレポートでは授業内で扱ったミッシェル・フーコーとバスケットボールにおけるチーム形成過程の関係性について取り上げたいと思う。
授業内では人文知や認識論に関する彼の議論も取り上げていたが、僕が特に興味を持ったのは『監獄の誕生』などで展開された権力論についてである。
ではまず授業で扱ったその内容を見てみよう。彼の認識論などと同じように『監獄の誕生』の中で彼は権力論についても時代分類を行い、その中で刑罰の種類についての考察を述べている。古典主義時代は一般的に体罰が主流であり、「身体を痛めつける事によって身体が真実を語る」という考えのもとで刑罰の舞台はもっぱら人間の体そのものであった。しかしその後、近現代(17、18世紀)になると啓蒙主義やヒューマニズムの影響によって「体を痛めつける」事に対しての否定的な議論が始まり、結果的に刑罰は禁固刑に移行していくのである。人間の精神的な部分が刑罰の舞台となり、同時期に心理学や社会学も発達していった。
では刑罰が禁固刑という形に変わって果たしてこの刑罰が社会的に成功したのだろうか。近代から現代にかけての歴史を見ていくに、実際に再犯などが起こっている現状を見ると、禁固刑が犯罪者の精神を完全に改善できていない。ではなぜここ数百年の間、人間は刑罰に関して新しい方法や概念を導入しなかったのであろうか。そこには国家や人類の完全に犯罪を滅する事への一種のポジティブな諦めがある。全てのコントロールを行うのは非常に難しく、なるべくロスを減らすという考え方に基づいた「最適化」が行われているのである。この歴史的な流れの中での分類を言葉で示すのであれば「主権」「規律」「安全」である。「主権」ではトップダウンの一方的な権力行使を行い、身体的な痛みに訴えかける刑罰を行った。「規律」では統制を行う事によって人間の精神面に手を加え、国民の意識や民意の改善に働きかけた。そして「安全」では全てを改善する必要はなく環境などに働きかけ、全体として最適化された社会を目指したのである。
僕が講義でこの概念を聞いたときに、バスケットボールにおけるチーム構成の際の問題に非常に良く似ている事に驚いた。もちろん社会もスポーツチームも人間という主体から構成される集団であるので、ある意味必然的なのかもしれないが、僕の中で漠然と抱いていた持論が講義によって部分的に具体的になったのである。
その後フーコーの考えに興味を持ち、メディアでいくつか本を借り、読んでみたが哲学的な知識が皆無に近い僕ではその読解は困難であり、フーコーの思考自体を深く考察する事はできなかった。しかし兵隊の訓練に関する話はさらにフーコーの権力論をスポーツにおけるチーム形成過程に置き換える事を促してくれたように思う。「従順な身体」は働く機械としての効率を重視し、その生産のためにはディシプリンが重視されるかという話である。規律の重視によって、罪を理解させ、逸脱をチェクするというのはチームスポーツに置いても非常に重要な段階であり、様々な合意形成を行いチームを構成していく過程で不可欠な方法であるからである。
では僕の漠然と抱いていたチームを構成するための過程の話を少ししようと思う。
現在体育会バスケットボール部にトレーナーとして所属する僕は、役職的には選手達の体のケアを行い、万全の体制で試合に臨むための準備をするためのいわば裏方である。僕が体育会に所属しようと思った最も大きな理由にはもちろんバスケットに携わっていたいという思いもあったが、自分達が高校時代成功したチーム形成方法の証明と、それに関する考察などを新たな環境で行いたかったからである。
ではバスケットボールとフーコーの関連性を議論しようと思うが、その前に一つ前提を提示しておく。それはバスケットボールの発祥と特性である。ラグビーなどイギリス発祥のスポーツは紳士的精神育成のための側面が大きく、剣道など日本発祥のスポーツは技術向上と精神力向上が相互的であるという考えの元で発展してきたが、歴史が短いバスケットボールなどのアメリカ発祥のスポーツはその特性が異なるのである。大げさに言えばそれらはアメリカ的個人的主義に基づいたものであり、一般的な意味での権威や規制を全く必要としない。誰から何を教わりそれに従い、その根底にある思想や価値観を吸収するなどこれらの競技者は何の興味もなく、競技レベルの向上に必要なのは個人的な向上心と負けん気なのである。つまりこれらのアメリカ発祥のスポーツは個人の勝利によって得られる効用を最大限に求めるべく作られたスポーツなのであると僕は考えた。
ではバスケットボールのチーム形成においてのフーコーの権力論と一致する点について考えてみたい。それは彼の時代分類での権力行使の3パターンが、僕の考える理想のチーム形成過程とほぼ同じであるということだ。
トレーニング用語で、プレーヤーが何か試合などに向けてそのコンディションを上げていき、結果的にもっとも良い状態でその試合などに臨む過程の事をピーキングというのだが、僕の高校時代の経験と大学に入ってからの考察を元に考えていた、一定期間で理想的なチーム形成に必要な精神的なピーキングのことをここからは「精神的ピーキング」と呼ぶ事にする。
僕の考える精神的ピーキングにおいて、その段階はフーコーの権力論と同じ3段階に設定されている。この3段階を僕が始めて認識したのは武道におけるの「守破離」と呼ばれる教えを知った時であるが、この考え方は単に技や流派の問題ではなく、精神面や人間関係にも適用する事ができる。
具体的に考えるのであればその期間を入学から最後の大会としてみよう。最初の1、2年はチームの伝統や年功序列という仮の権威付けによってトップダウンで自分の言動や練習内容は制限され、上級生になれば伝統やチーム理論を踏まえつつ、自分の言動や練習内容をより勝利に繋がるような特異性のあるものに変化させる。そして最終的にはそれらの概念にとらわれず自分自身の理想のチームを形成し、最高の状態で最後の試合に臨むのである。
以上のような過程を踏まえる事でチームは精神的な成熟を獲得し、精神的な成熟が身体的なパフォーマンス向上を最も効率導きだすと僕は考える。
しかしこのような理想的なチーム形成の過程に対して、現在我がチームは非常に大きな問題点を抱えている。
授業でも扱ったようにフーコーの時代分類によれば僕らは今、「最適化」された世の中に生きており、権力行使のパターン的にも「最適化」だとか「安全」というものが根底にある。つまりフーコーの考える権力行使のような三つの過程を考えずに既に三つ目の段階である「最適化」が思考の根底にあるのである。僕の考える「精神的ピーキング」においては、「主権」「規制」段階での価値観の対立によって起こる議論が生み出す合意形成こそが「最適化」の最も重要な要素であるのに対して、この無意識下での思考は非常に大きな障害となっている。
またこのような無意識下での「最適化」にはもう一つの側面がある。その原因は日本人の潜在的な集団意識であると僕は考える。
先ほどの「精神的ピーキング」を行うときの最も重要な要素に、「主権」「規制」段階での価値観の対立による議論から生まれる合意形成だと記述した。一見「主権」や「規制」という言葉は日本人の集団意識とに一致するように思われるが、その内容をしっかり見ればその違いは明らかである。
実際はこの二つの「主権」「規制」段階において価値観の対立による議論がチーム形成にとって何よりも大事だと考える僕にとって、価値観の対立を回避しようとする集団意識は大きな問題点であり障害でもあるのだ。というのも集団意識は価値の共有を行い、それに伴う異質なものの排除と「最適化」が最も大きな効果である。つまり、価値観の対立ではなく、共有による「最適化」が知らず知らずとなされていくのである。これにより人々は無意識下での価値観の共有を伝統や体制とはき違え、体制自体への疑問や批判を喪失するのだ。
同じ「最適化」であっても、フーコーの言う三段階をふまえ合意形成が行われた上での「最適化」なのか、日本人の根底にある無意識下での集団意識による「最適化」なのかでその内容は大違いである。
後者のその典型的例が、俗に言う「大人」だと考える。何か問題が起きたときに自分の意見を伏せ、他人の意見を許容するその範囲でその人間の器の大きさが見えるという日本人ならではとも言える面白い価値観である。一般的な社会生活を行う上ではこの「大人」の価値観は非常に重要であるし、柔軟かつ温厚な日本人の特性を生み出している要素であるが、「精神的ピーキング」が適用されるコミュニティー内では障害としか扱われない。つまりほとんど自分と関わりのない人間との関係を円滑に進める上では「大人」になる事によって様々なリスクを回避することができるが、自分が属し何らかの結果や効用を求めるような集団では、この「大人」という価値観を議論や合意形成の場に持ち込んではいけないのと僕は考えた。
これらの考察より、チームスポーツを行う上で僕の考える「精神的ピーキング」を行い、身体的な技術向上を促し、勝利という結果につなげるには、日本人に根付いているその国民性や意識を再発掘し、それらを整理し、環境や周りの価値観に常に疑問を持ち続け、自分の価値観を形成していく事が必要であるという結論に至った。